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第32回 またまた懲りずに忍野八海へ

第32回カルロス通信「またまた懲りずに忍野八海へ」

今年も懲りずに忍野八海までのランニングに挑戦しました。今年はOBの島田大君が一緒だったので、とても楽しみにしていました。一人だと孤独との戦いが重くのしかかってきますからね。

ところが、出発の10日くらい前に右膝のお皿の部分が痛んできました。大したことはないだろうと思っていたのですが、痛みはどんどん増すばかりで、ついには階段の上り下りも困難な状態になり、仕方なく8月8日(木)に整形外科に行き診てもらいました。

結果としては骨に異常はなく、また水も溜まっていないが、右膝が炎症を起こしているのは確かなのでしばらくランニングは休んでくださいとの診断でした。私がけげんそうな顔をすると先生は「何かあるんですか?」と尋ねてきました。「実は、来週ちょっと走るんですが・・・・」と私。すると先生は「そうですか。それでは走っていて痛みが出たらやめましょうね。」と言いました。

薬局に行き薬をもらおうとすると、由紀コーチとコウジロウ母が勤務していました。「どうしたんですか?足を痛めたんですか?そんな状態で忍野八海まで走るんですか?まったく無理して、先生に言いつけてやる。」この言葉で逆にやる気が出た私は、絶対強行しようと思いました。

暫くはおとなしくしていましたが、その後も痛みは続き薬局でもらった貼り薬だけではなく、痛み止めの飲薬も買ってきて毎日飲んでいました。出発の2,3日前には徐々に痛みも治まってきて、日常生活は不自由なく過ごせるようになりました。ただし、10日間くらいまったくランニングどころか運動らしい運動はしていない状態なので、いわばぶっつけ本番で出発当日を迎えました。

14日の午前4時ちょっと前に島田大が我が家に来て、ちょうど4時に出発をしました。走り始めに右ひざに違和感があり、痛みというよりは何か膝が引っ掛かるような、さび付いているような感じがしました。ところが暫く走っているうちにその違和感は徐々に消えて、7,8kmあたりでは全く気にならなくなりました。汗びっちょりで、パンツまでビショビショでしたが、その後はすこぶる順調で多摩川を渡るころには「良いペースだな。これなら最高記録を更新できそうだな。」と言っていました。パートナーの島田大も暑さに負けることなく、順調に走っていました。

少しおかしくなってきたのは川崎市の半ばに差し掛かったころ、右膝ではなく、左膝の外側が痛くなってきました。実はここは過去にも何度か痛くなったことがある場所です。でも、いつもは少し休むか、ウォーキングに切り替えれば痛みは治まり、再度走ることができました。

少し、ランニングのペースを落としたり、休憩では入念にストレッチをしたりしましたが、

痛みは一向にひかず、逆に徐々に増してきました。それでも我慢して走るとガクッと膝崩れ現象が起きました。

再度、ウォーキングにしたり、休憩でストレッチをして走りましたが、何度挑戦しても膝痛は治まらず。仕方なく横浜あたりで走ることを断念し、そこからはウォーキングに切り替えました。

走るより歩く方が楽かと思うでしょうが、普段走りなれている人間にとっては歩くことの方が肉体的にも精神的にも疲れるものなのです。走る爽快感、達成感を奪われた状態になりますからね。

そのかわり、熱中症対策はばっちりでした。休憩も時間で区切って取り、氷で火照った体を冷やし、水分補給・栄養補給も十分にしたので熱中症については全く心配いりませんでした。

この日は日中はもちろん暑かったのですが、猛暑というほどではなく、体感的にはおそらく32,3度くらいだったと思います。横浜から町田市、座間市、大和市を抜けて厚木市に入りました。厚木市を一つの目安にしているので、「何とかここまで来れたな。」とい感覚になります。でも、まだまだ全行程の半分にもなりません。

あたりが暗くなってきたのは伊勢原市に入ったあたりでした。疲労も徐々にたまってきます。膝をかばって歩くためか、いつもはそれほど張らない両モモの前面が筋肉痛でパンパンになってきました。島田大も足の出っ張った軟骨が当たり痛そうな顔をしていました。

それでも頑張って歩き続け、伊勢原市を過ぎ秦野市に入りました。さらに秦野市から松田町に差し掛かるあたりのコンビニで遅めの夕飯を取り、時刻も夜の12時過ぎだったのでそこで仮眠をとることにしました。

コンビニの駐車場では車の出入りがあるので、少し奥に入った住宅地の歩道の上で寝ることにしました。眠気も疲れもピークを迎えているので、すんなり睡眠に入れると思ったのですが、歩道のアスファルトの上にあおむけになり良い気持ちで寝ていると、時折涼しい風が吹いてきます。涼しいというよりむしろ冷たい風でした。

最初は我慢していたのですが、徐々に寒くなり、眠るどころか完全に目が覚めてしまいました。隣を見ると島田大が体を起こし、寒さをこらえるように座っていました。「これじゃまるで我慢大会だな。どうせ眠れないから、行けるところまで行こうか。」と言い。また出発をしました。途中のコンビニの店員さんに聞いたのですが、その夜は珍しいくらいの涼しさだったということです。いつも路上で寝るときは蒸し暑いのが普通なんですけどね。

松田町の県道を歩き、再度246号線に合流するあたりが昨年も疲れのピークでした。夜中の2時から3時頃です。このあたりで毎年「何でこんなことやっているんだろう、来年はもう絶対やらないぞ。」という気持ちになります。ところが今年は島田大がいたので、否定的な思考にはならず、膝痛と今後の行程とを考え、何とか完走したいとの気持ちでいました。

東山北町のコンビニで少し長めの休憩を取りました。ここからは、静岡県小山町に入るまでコンビニはないので、氷をたっぷり買ってスクイーズボトルに詰め込みました。今はまだ涼しくても、夜が明けるとすぐ気温が上がってきますからね。

曲がりくねった県道を歩いているところで夜が明けてきました。途中で仮眠ポイントがあるので、島田大に「どうする、20分くらい仮眠を取る?」と尋ねると「今は、調子が良いので、このまま行きましょう。」との答えが返ってきました。

清水橋を越えた小山町手前の246号線はバイパスになっていて、トラックがかなりのスピードで走ります。そこの歩道は、歩道とは名ばかりで草がうっそうと茂っていて、人が歩いた形跡はほとんどありません。ところどころ歩道が途切れていたり、極端に狭くなっていたりします。スピードを出したトラックが目の前を通り過ぎていきます。

実は私はここで眠さのピークを迎えました。歩いていてもボーッとして、自分が何をしているかわからない状態になってきます。歩きながらでも眠れるような状態です。危険を感じて、先頭を暫く島田大に代わってもらいました。

それでも、何とか静岡県小山町のコンビニに到着しました。朝ご飯を食べ、また氷と飲み物をたっぷり買いリックに詰め込みました。ここからが本格的な山道で、その後、明神峠、三国峠の峠越えが待っています。峠越えは急勾配が続き、肉体的には一番つらいところです。

この頃には、膝は両方とも痛くなり、とくに坂になると一歩、一歩踏み出すたびにかなりの痛みがきました。「この状態で、あの急な峠越えなんてできるのかな。」本当に歯を食いしばって歩いている状態でした。

山道を何とか乗り切り、明神峠入口手前の自動販売機のところで休憩をし、改めて飲み物を買いました。峠を越え山中湖に出るまでは自動販売機もありません。峠越えはつらいのですが、いつもはここで「よしっ!これを越えれば山中湖だぞ。」という前向きな気持ちになります。ところが今年は膝痛で、これから峠越えかと思うとうんざりする気分になりました。

それまで、両膝にテーピングをしたり、消炎剤スプレーをかけたりしましたが、ほとんど効果はなかったので、氷で感覚がなくなるまで冷やしてみました。すると、冷たさで麻痺する為か、15分くらいは膝の痛みがそれほど出ませんでした。30~40分をワンセットで歩いていたので、痛みを我慢する時間が短くなりました。それだけで気持ちが楽になりました。

峠はいつも涼しい時の方が多いのですが、今年は暑く汗びっちょりになりました。峠の途中で3度ほど休憩しましたが、最初の休憩では島田大は立ったまま休憩をしていました。座ったり、寝転んだりしたらやる気の糸が切れてしまうと思ったんでしょうか。

急勾配の峠越えも、4セット目でついに三国峠を越え、山中湖村に入りました。いつもはここで気分的に盛り上がるのですが、ここから急な下りの坂道が続きます。実はこの頃は氷で冷やしても痛みは治まらず、両膝はボロボロの状態でした。

山中湖のきれいな景色が見えて、多少気分も和らいできましたが、両膝痛との“勝負”はまさにこれからが本番です。休憩していた島田大を残し、「膝が痛くてゆっくりしか歩けないから、先に行ってるね。」と言い出発しました。

そろり、そろりと坂を下っていきます。どんな足の運びが膝には負担がかからないか確かめるように一歩、一歩ゆっくり踏み出しました。それでも痛さで顔をしかめながら歩いていきます。本当にここの下り急坂は辛かった!!

何とか平坦に近いところまで下りてくると、普通に近い歩きができるようになりました。平坦になれば痛みも多少和らいできます。

山中湖のコンビニでまた氷を買い、膝を冷やしましたがもう効果はありませんでした。山中湖沿いの歩道を歩く時もわずかな勾配でも膝に負担がかかり、慎重にゆっくり歩いていきました。

山中湖に降りてからも結構な距離があるんですよね。特に暑い時間帯だし、日陰になるようなところはほとんどありません。一生懸命に歩いて、いつも寄る“山中湖最後の店”にたどり着きました。ここで祝杯代わりにソフトクリームを食べるのです。

そこのお店の“お姉さん”と会話をし、東京から走って、歩いてきたこと、毎年ここでソフトクリームを食べることを話しました。お姉さんは島田大に「よく一緒についてきたわね。来年もついてくるの?」間髪をいれずに島田大は「もう、来年はいいです。」と言いました。

ソフトクリームを食べてリフレッシュして再び出発しました。ここから練習場までは4㎞くらいです。もう気分的には楽です。ファナックの大きな工場横を通り、グランドへ向けた道に入りました。休憩なしで一気に行こうと思ったのですが、膝が持ちません。途中の路上で短めの休憩を取りました。

何とかグランドにたどり着いたのは午後4時ちょっと前でした。合計時間36時間弱です。膝痛と2/3以上がウォーキングだったので、すごく時間がかかったように感じましたが、前川コーチが車で伴走してくれた第1回目とほぼ同じタイムでした。

走ったというよりも、“痛みにこらえて歩き切った”というところでしょうか。完走した喜び、達成感よりも、やっと膝の痛みから解放されるという安ど感の方が強かったのが正直な感想です。

いつもは到着してしばらくは「来年はどうしようかな?」と思うのですが、来年は絶対やるぞっ!!特に来年は南綾瀬FCの30周年なので、30周年行事としてまたみんなと行きたいと思います。もちろん、誰もいかずに一人だったとしても行きますよ。

お医者さんの言うことを聞かなかった罰が当たりました。夏合宿中は子供たちと一緒に走ったり、プレーしたり、審判をしたりは膝が痛くてできませんでした。それなのに1日3食たっぷり食べて、そのうえ毎晩飲んでいたので夏合宿中に2kg体重が増えました。帰ってきて10日ほどしてからランニングをしたのですが、1km位で膝が痛くなり、走ることを断念しました。トレーニングも膝の炎症が完全に治るまでできそうにありません。

しょうがない、暫くはおとなしくしています。

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